夏の夜中というのは少し不思議な感じがある。

 静まり返った部屋には普段は気にもしない機械の駆動音が響き、外からは虫の鳴き声やどこか別の世界のように感じる車の音など、どこか世界から切り取られたような幻想的な感覚に陥る時がある。

 私は休みの前など、本を区切りのいいところまで……といいつつ読了してしまうことも多く、気付けば日付をまたぐどころか二時とか三時なんていう時間になることも多い。

 真夜中、というのは先ほど言った通りどこか非現実的な感覚で嫌いではない。

 それこそ何か本の世界にでも迷い込んだような感覚になるのは……多分本を読んで少しハイになっているからだろう。

 一人でいたころならこの時間を何もせずにぼーっと無為に過ごしたものだけれど。

「…………」

 今、私は一人ではない。

 私に付き合うことなく先に寝入った恋人がいる。

 寝る準備を整えた私はベッドに入ると、電気を消して横たわる前にすみれの顔を見下ろしていた。

「……ん…すぅ」

 穏やかな寝息を立てるすみれ。

「相変わらず綺麗な顔してるわね」

 今まで何度も、それこそ出会ったときから思ってることだがそれでも飽きずにそう思う。

 非現実的と言えば、すみれといることもまたどこか非現実的と言えるかもしれない。

「…一年前はこうなるなんて思いもしなかったし」

 去年の今頃はまだ悩んでいた時期だ。すみれからの好意に戸惑っていた時期ともいえる。

「あの頃はまだこいつのこと、重荷感じてたのよね」

 何気なく髪を掬い指の間に通す。

 さらさらとした感覚が心地いい。

 そういえばこの髪に初めてまともに触れたのは真夏のあの日か。

 すみれのことを受け入れ、背負う勇気がなくてでも手放そうともしなかった私をすみれに誘われた旅行でのあの日。

「今思うと、私はろくでもないやつだったわね」

 髪から頬に手をうつし当時はほとんど知らなかった、今は体の様々なところで感触をしる唇を指でなぞる。

 荒れていることもなくぷにぷにと柔らかな唇の触感を指で感じ、印象的だった口づけを思い出す。

「最初は……さすがに驚いたわね」

 面白い本を探しててほしいとかいう、おかしな要望から始まってそのために頑張ったらキスをされて。

 今思えばあの時のすみれは自暴自棄でもあった時期だし、精一杯の虚勢だったんだろう。

 それを理解せずまるで生殺しのようにしていたのだから私はろくでもない女だったでしょうね。

 そして迎えたあの日。

 すみれからの二度目の、そして唇でする初めての口づけ。

 酔いの勢いと私への憤りと未来への絶望。

「……そういえば、どういうつもりで私を襲ったのか聞いてはいないわね」

 すみれの唇に当てていた指を今度は自分の唇に当て、当時のことを思い返す。

 切羽詰まったように私に縋ったすみれ。あの時は襲ってきたのはいいけど、結局私がすみれを抱いたのよね。

 私の胸で泣きじゃくるすみれが支えなければ折れてしまいそうだったから。

 今思えばそれはそれで残酷なことをしていたのよね。

 自分の未来を諦観した上での行為。

 浅はかだった私はそれでようやくすみれを背負う決心をして、けれど遅すぎて。

 それから一言ではいえないような紆余曲折があり今ここにいる。

 この手に愛する人のぬくもりを手にしている。

「………は」

 少し自嘲ぎみに笑った。

「今思うと私らしくなかったわよね」

 初めて人間に執着した。

 私はこれまですみれを含めて三人と関係を持ったけど、最初は告白された側だし、別れた時も相手がそういうならと受け入れた。

 早瀬の時は初めから打算があって、終わりもやっぱり打算で。

「あんただけは手放せなかったのよね」

 私はベッドで半身になるとその端正な顔をまじまじと見る。

 こいつの何にそこまで惹かれたのか説明はできない。

 見た目はもちろん魅力だが、性格がいいとはいえな……いやこれは無粋ね。

 「愛」には往々にして説明つかないものがあるものだ。いいところも悪いところも含めてすみれが好きというのが私にとっての全て。

「……好き、なのよね」

 私はすみれにとってあらゆることで初めての人間になってるが、私にとってのすみれも初めてが多いのかもしれない。

 好きという感覚。初めて自分がもとめた相手。

「いつだったか、あんたがいなくなったら何か別のもので心の隙間を埋めるって言ったけど」

 呟き、体を寄せる。

 そのぬくもりに思う。

「……もう、そんなことはできないかもね」

 というよりそれが出来なかったから今こうしてるのよね。

「あんたを諦められないって思ったときから、私は自分で思った以上にあんたのことを好きなのかもね」

 腕を抱き、離すまいと想いを込めて抱きしめる。

 今はキスとかそういうことではなく抱いておきたいと思った。

 物理的にこの腕の中にすみれがいるということを感じたくて。

「……………………ふ」

 しばらくの間、愛する人を感じて悦にいっていた私はふと笑い帰ったように先ほどとは違った意味で自分を嘲る。

「真夜中のテンションで少しおかしくなってるみたいね」

 偽りはないとしても、とてもすみれにはいえないようなことを考えていた。

「……いや、言ってあげてもいいかもしれないわね」

 私はこんなにも貴女のことが好きなんだと。

 ピュアなすみれのことが顔を真っ赤にして喜んでくれるかもしれない。

 そんなことをするのは私のキャラではないが。伝えようする意志だけは自分の中で確認し、

「ま、いつかいってあげるわよ」

 夏の夜に酔った時間を終えるのだった。

 

 

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