推し、という言葉がある。

 定義はちゃんと定まってはいない気もするけれど、単純に応援をしているというよりも強い意味でつかわれることが多いだろうか。

 その対象は様々で、リアルの人間に使われることもあれば物語の登場人物に使うこともある。

 私なら、好きな役者とか本の作者だろうか。

 そこまで熱狂的に入れ込んでることはないけど、それでもファンと言って差し支えない対象は何人もある。

 ただ、推しというものを持つのは当然悪いことではないだろうけど、中にはそれが気に喰わないやつもいうようだ。

 

 ◆

 

 それは何気ない一言からだった。

 夕方のニュースを二人で眺めていた時の事。

 芸能人の誰それが引退するという話で、そのファンへのインタビューを流していた。

「こういうの、わけがわからいわよね。もう生きていけないとかよく言うわ」

 すみれは想像通りというか、推しという概念には興味なさそうでたかがニュースを冷たくあしらう。

「そう? 私はわからないでもないわよ」

「……」

 一緒にテレビを見てたっていうのに私が少しすみれの気に喰わない意見を言っただけでこっちを見てきた。

 こうなると余計に煽りたくなってしまうのは私の悪いところ。

「生きていけないっていのはともかくとして、悲しいってのはあることでしょ」

「…………」

 ここでやめておけば考えの違い程度ですみれも引いてくれただろう。

「私にだって芸能人じゃないけど、好きな作家にもう作品書かないって言われたら、そりゃあ悲しいわよ。それこそ生きる理由の一つがなくなるくらいは思うわよ」

 しかし私はわざわざ地雷を踏んでしまうもので。

「なによそれ」

「ん?」

 すみれはこっちを見ていたけれど、私はそれほど大きな話には思っていなくて変わらずテレビを見ていたが、すみれの声色が変わったことに視線を移す。

「あんた何そんな怒ってんのよ」

 もともと声に怒気を感じたからこそすみれを見たのだけど、思った以上に不愉快な雰囲気をまとわせていた。

「文葉、今のは聞き捨てならないわね」

「今のって、何が?」

 そこまで怒らせるようなことは言ってないはずだけど。

「文葉が生きる理由は私だけで十分なのよ」

「……………」

 言葉を失うわ。

 それを口にすることくらい悪いことではない。

 けど、

(本気、なのよね)

 冗談じゃなくて、私が口にしたことが本気で気に喰わないようだ。

 瞳には力がこもり表情は私を圧するようで、これを心から言える所に感心してしまう。

「あのね、すみれ。別にあんたのことが好きじゃないとかそういう話をしてるわけじゃないでしょ」

「そんなこと知ってるわよ。ただ気に喰わないって言ってるの。私にとってはあんただけが生きる理由なんだから、文葉だってそうじゃないと嫌。大体文葉にはそういう責任があるでしょ」

(……すごいわね、すみれは)

 百パーセントいい意味でというわけじゃないけれど、まっすぐにこれを言えるというのは誰にでもできることじゃない。

 少なくても私みたいなやつには無理だ。

 私は言葉に打算を含ませる。引き出したい反応を考え、誘導することもしばしばだ。

 すみれは違う。とにかく自分の気持ちをまっすぐに伝える。

 その潔さがまぁ心地よくもあるわ。

「何笑ってるのよ。私は真剣に」

 どうやら自分でも知らずこの可愛い可愛い恋人に笑みがこぼれていたらしい。

 悪いことにそれがさらにすみれを刺激したらしいけれど。

 私はすみれの襟元を掴むと、ぐいっとこちらに引き寄せて。

「…んっ!?」

 その口をふさいだ。

「っ、な、なによ。いきなり」

 予想外のことに一瞬でしおらしくなるところもまたいじらしい奴だ。

「あんたが好きって気持ちを行動に移しただけよ」

「はぁ?」

「あんたの人生に対しての責任から逃げるつもりなんてないし、それ以前にそういうのとは関係なくあんたの為に生きるっていうのは私にとってだって当たり前の事よ」

「っ…」

「あんたと私の気持ちが同じなのは、今更いうことでもないでしょ」

「………ふ、ふん。どうせそういえば私がおとなしくなるって思ってるんでしょ」

「……………」

「……なんか言いなさいよ」

「知恵をつけたなって思ったのよ」

「っ!」

 そう今の言葉は打算が入っている。これまでの経験とすみれの性格からこの場を収めるための言葉だったともいえる。

「けど」

 私はもう一度すみれの襟元を掴むとこちらへと引き寄せた。

 今度は口づけはせずに顔を近づけて至近距離での会話をする。

「私の気持ちが本当だっていうのもわかってるでしょ」

「……っ。なんかムカつくわ。いつもいつも文葉にいいようにされるのって」

「それだけあんたが私を好きってことよ。それこそ生きる理由になるくらいね」

「…………」

 照れて目をそらしちゃだめね。

 そんなんだから私に主導権を握られ続けるのよ。

「ふふ、大好きよ、すみれ」

 余裕を持った言葉に顔を赤くするすみれ。

 それは本当に愛おしくなる姿で、テレビのインタビュー受けてた人ではないけれど「推し」は確かに生きる目的なんだとそう思う私だった

 

 

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