早瀬との過去。

 それは一言で説明できるようなものじゃない。

 すでにすみれも知っての通り、セックスフレンドだったという一点だけでも強烈なエピソードだが、早瀬とは単純にそうなった関係じゃない。

 早瀬雪乃。

 珍しく二人採用された司書の同期。

 最初は特に印象的な相手でもなかった。

 当時の私が他人のことを気にする余裕がなかったからというのも理由の一つかもしれないけど、とにかく当初は同期という認識でしかなかった。

 仲良くしたいとも思わず、逆に特別距離をとったりも考えない。

 本当に同僚というだけ。

 仕事上で話もすれば相談したりもしたが、プライベートでかかわったことは一度もなく、半年近くが過ぎた。

 その認識が変わった日のことは今でも思い出せる。

 もう秋になろうかというのにやけに暑い日だった。

 珍しく電車で遠出をした日。

 最寄り駅に戻ってきたときのホーム、そこに早瀬がいた。

 何をするわけでもなくホームに立ち尽くし、線路の方角を見ていた早瀬。

 この駅のホームは田舎によくあるようなあまり整備されてはおらず、駅舎に続く部分にしか屋根もない。

 ちょうど電車の最後尾から降りた私の前にいた早瀬は西日に照らされ、どこか不気味さを醸し出していた。

 一瞬立ち止まり、意識を奪われた私。

 ただその時には軽く挨拶をするか、もしくは気付かないふりをしようと考えた。

 だが、早瀬は電車がいなくなってもその場を動かず、ようやく私はおかしいと気付いた。

(さっきからいた?)

 このホームは都会のように行先が異なる電車が来るわけではない。

 来た電車に乗らないのはおかしなことだ。

 それに、いやそもそもというべきか。

 雰囲気が何か妙だった。

 それほど親しくなかったこの時の私にも早瀬のイメージとして快活というものをもっていたのにこの早瀬にはそんなものを一切感じず、むしろ夏の怪談にでも出てきそうな寒気すら感じた。

 一度目を離したら次の瞬間には消えてしまいそうな、そんな儚さ。

 面倒とは思った。でも、そこまでの違和感を持って無視が出来るほどには冷血ではなく。

「早瀬さん」

 声をかけた。

「…あ、白姫…さん」

 反応は鈍く、覇気が感じられない。

「ぼーっとしてるみたいだけどどうかしたの?」

「え……あーうん」

 反応は返してくるものの会話にはなっていない。

 私のことを考える余裕がないということだろう。

(……やっぱり話しかけるべきじゃなかったかも)

 事情など知らないし、ただの同期である私が踏み込んでいいものかもわからない。

 いや、私だったらそんなに仲のいい相手でもないのに踏み込んでくるなと思うだろう。

 例え助けを望んでいたとしても、相手が誰でもいいわけではないのだ。

 そう思いなおし、適当な理由をつけてその場を去ろうとした私は

「なんでも……な……っ」

 遅れて先ほどの「どうした」に反応しようとしたその言葉が、最後まで出てこず代わりに涙を流した姿に動揺する。

「ごめ…な、んでも……」

 自分での驚いてるのか取り繕うとしているものの声はかすれ、涙は止まらず「なんでもない」わけがない。

「…………」

 こうなったらもう放っておくことはできず、かといってこの場で落ち着くまでいるのも目立つし、それに暑い。

(……面倒だけど)

「うち、来る?」

 安易にその提案をしていた。

 

 ◆

 

 早瀬は駅からバス、そこからの徒歩の間、涙は抑えていたが表情は暗いままで一言も発しなかった。

 決して居心地はよくなくそこらの喫茶店でもよかったかもしれないが、主観だが周りに人がいる場所ではないほうがいいだろうと思った。

(初めての相手がこの人とはね)

 仕事を始めてから住み始めたアパートに人を招くのは初めてで、緊張をしているわけではないがとにかく意外だった。

 仲のいい相手ではないのだから。

「先に言っておくけど、連れてきたからって話せっていうつもりはないわ」

 エアコンのある寝室へと招き、自分用の座椅子に座らせ、お茶を出すところまでをこなしてからの一言。

「そういうために連れてきたんじゃない。あそこに一人でいさせるわけにはいかないって思ったから連れてきただけ。泣きたかったら好きなだけ泣いていいし、もし聞いてほしいなら聞くけど、私に気を使って話さなくてもいい」

 余計なことを言われる前にそれをはっきりさせておきたい。

 それを気にされ余計な気苦労をかけては本末転倒だ。

「………」

「何?」

 早瀬は意外そうな顔で私を見ていた。

「そんな言い方するんだって思っただけ」

「職場と違うってこと? そういうものでしょ誰だって。その時々で使い分けるわよ」

「かもね…」

 私が早瀬のこんな姿を見ているのと同じ…ではないか。

 早瀬に訪れてるのは普通ではないことだろうから。

 近くにいると余計なプレッシャーをかけてしまいそうでテーブルから離れてベッドへと腰掛ける。

 早瀬は私の入れた麦茶を飲むわけでもなく眺め、言葉を発しないでいる。

 ベッドからそれを眺める私はやはり余計なことをしたかもしれないと若干の後悔をしつつも宣言通り私からは何もせずにしばしの時が流れた。

「……振られちゃったんだぁ」

(そっちを選んだか)

 そういう圧をかけたつもりはないけど、彼女にとってはここにいることが重圧か。

「そう」

「うわー、軽いね」

「大方そんなところだとは思ってたから」

 平然と返したけど、心中は穏やかではない。予想してたから平静を装っているだけ。

 心の裡を隠しベッドを降りると早瀬の隣へと座り聞く体勢を整えた。

 早瀬は駅よりも雰囲気を和らげていたが、近くて見てみると表情は固く心の動揺が見て取れる。

「大好きだったんだけどなぁ」

(……正直困るわね)

 話を聞く責任はあるけど、相手のことはもちろん早瀬のことすらまともにわからないのだから。

「付き合ってたの? それとも告白して振られた?」

「付き合ってた………つもり」

 付け加えるそれが、未練と絶望を感じさせる。

 早瀬は憂いの空気をまとわせるとううんと頷く。

「付き合ってたよ。向こうが告白してきたんだから」

「それは難儀なことね。告白してきておいて振るなんて」

「だよね……でも」

 歯切れ悪く、口を開いては結ぶ。

 何か言いたいことがあるのにやめた、そんな動作。

 心の整理はついておらず、まだ気持ちが残っているんだろう。

「大学の卒業の時に告白されたからまだ半年くらいだったけど、私はその間幸せだったんだよね。頻繁には会えないけど、それでも毎日楽しかったし、会える時なんて……前の日から楽しみで…」

「……遠距離だったんだ」

 その言葉の意味する所を口にする。

(ほんと、連れてくるんじゃなかった)

 余計なことを思いだしたのは早瀬のせいではないけれど。

「うん…」

「それで? 遠距離はやっぱり無理とでも言われた?」

 自分で言っていて嫌になるセリフだ。

「もっと根本的なやつ」

「根本的? ほんとうは好きじゃなかったとか?」

 いや、それなら卒業の時に告白をしないか。

 付き合った後に想像と違ってて幻滅したというのならまだありえるか。

 そんなことを考える私だけど、早瀬から出てきたのはもっと想像の外の言葉。

「……女同士はやっぱり現実的じゃないって」

 諦観と絶望を含んだ響き。

 その時を思い出したのか瞳には涙がにじみ、その重さを告げている。

「……ふーん」

 対して私は敵意すら込めて鼻を鳴らした。

 思うところは様々。

 まさかそんなことを告げられるとは思ってもいなかったとか。

 早瀬の傷はいかばかりかとか。

 もしかしたら体よく交際を終える理由だったかもしれないなとか冷めたことまでも考える。

 早瀬の言われた言葉がどんな意味を含んでいるか私にはわからないが、ただ、事実としてそれを言ったのだとしたら。

「最低の女ね。自分から告白してそんな理由を使うなんて」

 もし理由に使っただけなのだとしても、聞いていてはらわたが煮えくり返る気持ちになった。

「ほんと、だよね。最悪だよ」

「そんな奴なら半年で別れられてよかったんじゃないの」

 これが「親友」にでも告げるのなら私らしく正解の答えかもしれない。

 だけど、この時の私と早瀬は友達ですらなくて、その遠慮ない物言いは早瀬の弱った部分を刺激していて。

「そう、かも…だけど、さぁ……」

 声が滲んでいる。

 一言一言に感情がこもっている。

「私は…大好きだったんだよ」

 過去形で語っているが現在進行形なのは明らかだ。

「…大好き、だった」

 消え入りそうな声で絞り出す早瀬。

 個人的な感情ではそんな名も知らぬ相手のことなど心の底からどうでもいいが、この早瀬の前で悪し様には言えず。

「……そう」

 小さくつぶやいて体を寄せた。

「う……ぁ……ぁあぁっ」

 早瀬もまた私へと体重をかけて少しずつ嗚咽をこぼしていく。

「あ……ひぅ…あ、ぁぁぁっ…あぁぁああぁぁつっ!!」

 私にも理解はできる感情の爆発。

 それを受け止めることが私と早瀬の初めての交流だった。

後日談4−2/後日談5−2  

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