初めてを迎えてから私たちは前にもまして一緒にいることが多くなった。

 早瀬が泊まりにくることも頻繁になり、早瀬用の布団まで買う始末だが結局は私のベッドで寝ることがほとんどだった。

 傷をなめ合うというのが情けないことに私たちの関係。

 する時は別に悲壮感を持っているわけじゃないから、絵にかいたような共依存になることがなかったのは幸いか。

 早瀬とするようになって改めてわかった。

 やはり私は寂しかった。

 失恋の痛みから目を背け恋そのものすら冷めた目で見ていたけど、心に空いた穴は隙間を埋めたがっていた。

 それが同僚と体の関係を持つことで代替とするのは……良いこととは言えないのだろうが。その時の私はそれでいいと思えていた。

 一方で早瀬が私とする理由は実のところよく知らない。

 聞けば応えてはくれるのかもしれないが、「恋人」ではなく、あくまで心の隙間を埋めるための関係。

 事情を知っているとは言え、知りすぎては余計な感情を抱いてしまいかねないから。

 心を通わせすぎない方が恋に傷ついた私たちにとって都合がいい。

 少なくても私はそう考えていた。

 

 ◆

 

 早瀬……この時期は雪乃と名前で呼ぶようになっていた。

 そんな雪乃と関係を持ってから数か月。

 出会ってから一年が過ぎようとしていたころ。

「はい、コーヒー」

 夜明けごろ、ベッドで毛布を羽織る雪乃にコーヒーを差し出す。

「ありがと」

「隣、いれて」

 私もコーヒーを持ち雪乃の隣に腰掛け毛布を羽織る。

 暖房は入れているがショーツだけということもあり、ぬくもりがありがたい。

「もう明るいねぇ」

 湯気の立つコーヒーに口をつけてしみじみとつぶやく。

「これじゃまた休みがつぶれちゃうパターンだ」

「あんたが調子乗ってなんどもしたいっていうからでしょ」

「文葉だって乗り気だったじゃん」

「……ま、否定はしないわよ」

 平日でも雪乃が来ることはあるが、その時はあくまで節度は守る。

 だが、休み前となるとこうして朝まで肌を重ね求めあうのも珍しいことではなかった。

 雪乃とするのは気が楽だ。

 深く考えず、ただ快感を与え受ける。

 過剰の喜びがあるわけではなく、それゆえに失うことに怯えることもない。

 もちろん、好きでなければできないことだが「本気」でないから。

 ただ、昨夜は今まで以上に激しく求めあった。

 言葉には出さなかったが互いに一年前の今を意識していた。

 雪乃には余裕がないように見えたし、私も少しだけ心が痛んで余計に何も考えずにしたくなったのだ。

「……はぁ」

 コーヒーを飲んでため息をつく雪乃の横顔は少し苦みに歪んでいるような気がして、いつもよりも美しく見えた。

「そいやさー、文葉って恋人作る気はないの?」

「いきなりね」

 いや、一年前を思い出しているのなら突然とも言えないか。

「文葉はそろそろ一年だし、そういうこと考えるのかなって」

「特に考えてはないわね。もう二度と恋なんてしないとか思ってるわけじゃないけど。欲しいとは思ってないわ」

「ふーん」

「大体、ほとんど雪乃といるのにいつ恋人なんて作るのよ」

「ま、そりゃそうか」

「あんたの方はどうなのよ」

「私は……」

 溜めを作る雪乃。コーヒーカップを両手で持ちどこか少女のような雰囲気を漂わせる。

「私は……私もいいかな。また捨てられちゃうのもやだし」

「…………」

 やれやれ、敏感な話題だ。

 臆病になるのはわかる。実感もあれば、雪乃の場合はそれこそあの夏の日に私が声をかけなければ世を儚んで……とすら考えられた。

 それからもずっと引きずり続け、私に言えたことじゃないが愛しているわけじゃない相手と体の関係まで持った。

 雪乃の苦しみを間近で見てきた私からすればその考えもわかる。

 コーヒーカップをなでる雪乃の指先。その無意味な行為に心が乱れていることを感じ入る。

「文葉とこうしてる方が気楽でいいや」

(…笑うなよ)

 崩れそうな笑顔。

 雪乃のその姿は余裕がなくて、初めての日を思い出させる。

 私と雪乃はやはり違う。

 私は寂しさを埋めているだけに過ぎない。極端な話、雪乃がいなくても別にいいのだ。

 またあのむなしさを抱えて、それもいつかは消えるはず。

 でも雪乃は私に寄りかかっている。一人では立つことも難しいほどに。

(やっぱり私たちは正しくない関係なんだろうな)

 それを理解しながらも、今は目の前で苦しんでる雪乃に手を差し伸べたくて。

「雪乃」

「な……っ!?」

「んちゅ……ちゅ、ん」

 唇を奪って軽く舌を絡めた。

「っ、ぷ、ぁ……ちょっとこぼしたらどうすんの」

「そしたら私が綺麗にしてあげるわ。すみずみまでね」

 コーヒーカップを取り上げて、近くのテーブルに置く。

「…ま、どうせすることがあるわけじゃないし、いっか」

 私が何を求めてるかを理解した雪乃は羽織っていた毛布を床に落とし、裸体をさらす。

 もう見慣れた雪乃の身体。

 その体にはいたるところに私の痕があり、雪乃そのものが私のもののような錯覚を起こさせる。

(……言いすぎね)

 なんだか危険な考えな気がして頭から余計なことを振り払う。

「文葉、こんどは優しくしてよね」

「善処するわ」

 そうして私たちは深い沼から抜け出す意思を放棄していく。

 

 ◆

 

 私と雪乃の関係が終わるのはそれからさらに年単位の時間が経ったころ。

 雪乃とは半ば同棲していて、合鍵すら渡してある。

 間違ってるとは言わせないが正しくもない関係。

 何十といわず何百と体を重ね求めあってきた私たち。若さゆえに普通の恋人以上に過激にもしあったかもしれない。

 部屋やホテルはもちろん、旅行先でなんてのもあったし、回数は少ないけど職場で二人残った時なんてこともあった。

 それでも付き合っているわけではなく、あくまで共存の関係。

 生涯を共にする気はない。

 いうなれば終わりを迎えることは決まっている、そんな関係。

 その終わりを決めたのは私の方だった。

 きっかけというほどのきっかけがあったわけじゃなくて、理由を少しずつ積み重ねていったことによる終わり。

 一緒にいるほどに、雪乃と関係を終わらせた方がいいかもしれないという心とこれだけ付き合ってきて終わらせるのかという相反した気持ちが私の中でせめぎ合っていた。

 それでも終わりを選んだのはやはり、永遠には続けられないと考えていたから。

 だから私は雪乃に今の関係を終わらせることを告げることにした。

 

 ◆

 

 それは雪乃と関係を持ってから二年近くが経ったころ。

 別れ話、という言葉は正しくないだろうが便宜上そう呼ぶ話をすることを私は決めた。

 ここに至るまでに考えることは多かった。

 別れを決めた本当の理由、雪乃に伝える理由、場所、タイミング、曜日。

 これからの雪乃との付き合い方。

 別れを決めてから行動に移すまでに数か月すら要した。

 仕事終わり一緒に買い物をして帰って、ご飯を食べながらのこと。

「雪乃、そろそろ私たち終わりにしない?」

 あえてそんな団らんのタイミングで告げる。

「へ?」

 小さなテーブルの対面にいる雪乃は自分が作ったハンバーグを箸でつかみ固まった。

「……そろそろ終わりにした方がいいっていったの」

「聞こえてる、けど」

 …部屋の温度が下がったような錯覚を受ける。冷たい声だったというわけではないのに。

 今雪乃の心はどうなっているだろうか。きっとまだ乱れてはいない。でもそれは嵐の前の静けさのようなもので。

「ちょっと前から考えてたのよね。私はこのままじゃきっと駄目になるって」

「駄目、って」

 私を見つめる雪乃の目はまだ疑問の色が大きく、理解が及んでいないようだった。

 ……この目をあの日の雪乃のようにしてはいけない。

「あんたといるのは居心地が良すぎるのよ。一緒にいて楽しいし、話が続かなくても気まずくも感じない。こうやってほとんど一緒に住んでるのもいろいろ便利だし。夜も…ね」

「なら、いいじゃん」

「だから駄目。このまま雪乃と一緒にいたら離れられなくなる。そうなる前に区切りつけた方がいいと思って」

 この理由は雪乃用の理由だが、嘘でもない。

 本当に二人の生活は居心地がよかった。

 だが、本当の理由は違う。

 逆なんだ。

 このままだと雪乃の方が私がいないとだめになってしまいそうな気がした。

 依存とまでは言わないが、徐々に私に傾倒してきている。

 それもその自覚はなさそうで余計に危険な気がした。

 私たちの間に愛があるわけではなく、一生を背負う気もない。

 もし雪乃が私に依存をしているのなら、手を切るのは早い方がいい。

 それこそ私に「捨てられた」と感じる前にだ。

「文葉……ぁ」

 名前を呼ぶ雪乃は、私を見ては何度か口を開閉させた。言いたいことがあるのに、言えないのか、何を言えばいいかわからないのか、気持ちがのどを通ってはくれないのか。

 どれにせよ私にはその言葉を引き出すつもりはない。

「あんたに感謝をしてる。あんたがいてくれなかったら私もつぶれてたかもしれない。あんたに寄りかかれてたから私は倒れずに生きてこれた。でも、ずっとそうしてたらもう一人で立てなくなるの。私はそうなりたくはないし、あんたにもそうなってほしくない」

「っ……」

 今度は顔を背けた。

 この時の私は明らかに卑怯だ。私だけが準備万端で、雪乃は不意を突かれて心を揺さぶられてるんだから。

 私は雪乃のためと思ったとしてもしていることはやはり雪乃を捨てた憎き女と変わっていないのかもしれない。

「雪乃、あんたが好きだから。この時間を理由にしたくないのよ。将来、この時間があったから私は幸せに生きられたって思いたい。これ以上一緒にいたら、無関係でもこの時間のせいで幸せになれなかったって思っちゃうかもしれない。それをしたくはないの」

「………………」

 長い沈黙だ。ずっと見てきた雪乃がとても小さく見える。

 罪悪感に押しつぶされる資格すら私にはなくて、ただ雪乃の答えを待ち受け入れなくてはならない。

「…………文葉はもう決めたんでしょ」

 心から絞られたのはこんな言葉。

「…えぇ」

「ずるいね」

「………言い訳はしないわ。そういうやつなのよ私は」

「…知ってる。文葉って性格悪いもん」

「否定はしないけど、面と向かって言われるのは面白くはないわね」

「それくらい我慢しなよ。実際悪いんだから」

 明るく聞こえるのはもしかしたら私の願望かもしれない。

「ま、文葉の言うことも一理あるよね。あまりにも急なのは驚いちゃったけどさー」

「そういわれても、絶対に最初は急になるでしょ。それとも、少しずつ冷たくしてあんたの方からやめたいって言わせた方がいいってわけ?」

 でも私はずるいやつだから、自分の望む流れに水を差すことはしない。

「それはそれできついなー」

「でしょ」

 ……本当に雪乃を自立させたいのならその方がよかったのかもしれない。

 でもそんなことは良心の呵責に耐えられそうにない。

「ま、でもいきなりもう来るなとは言わないわよ。少しずつ離れていって適度な距離になればいいってこと。合鍵も別に返さなくていい。たまにはあんたにご飯作ってもらったら楽だし」

「なーんか便利に使われてるような気がするんだけど?」

「それは気のせいね。いきなり全部を変えろっていうのは大変だからっていう私の気遣いよ」

「…やっぱ文葉は性格よくないね」

「誉め言葉として受け取っておくわ」

「あは」

「ふふ」

 ようやくこぼれた笑み。

 ただ私はこの選択を少なくも近々には後悔をする。

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