ついてきてとも、ついていくとも口にすることなく早瀬は私を家まで送り届けた。
着替えるのも億劫で何をすることもなくベッドに腰掛けた私に、服を緩めるようにいい水を運んでくる早瀬。
(……何かを思い出すわね)
酔ってはいても冷静さを失ってはいなく、甘くて苦い思い出に再び心を痛める。
「文葉がこんな弱ってるのって初めて見るかも」
「……そう、ね」
この歳にもなれば人前で弱った姿を見せることなんてめったにない。
早瀬には比較的、いろんな姿を見せてきたしこうして今を見せられるのも他にはない。
そんな相手がいるのはきっと幸運なことだろう。
「で、聞くまでもないかもだけど、振られたの?」
……ずけずけと人の機微に踏み込むところも含めて。
「そのくらいは聞かせてよね」
「…………」
早瀬にもらったペットボトルを眺めながらどうするかを考える。
こんな言い方だがこいつは私を心配している。これから私と接する上で何が起きたのかを把握しておきたいのだろう。
「結婚、するんだって」
「…お、ぅ……」
できるだけ無感情になるように努めたそれに早瀬は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「へぇ〜、遊ばれ、ちゃったんだ……」
結婚、という単語が出てくるのは想像の外だったのか聞いてきたくせに呆気に取られて何も考えてないような言葉が出てくる。
その取り乱しに逆に私の方が冷静になってしまう。
「本人はそう言ってたわね」
それが事実なのかは確かめていないが。
「私と会う前から結婚するのは決まってたらしいわよ」
これはおそらく事実だろう。
「へぇ……そりゃ随分ひどいっていうか、あんまりな話だね」
「……ほんとうにね」
「そういうことする人には見えなかったけど、それがほんとならちょっと許せないかな」
気づけばきちんと早瀬を見ていた私は、そこに含まれる本気を感じた。
早瀬が私の立場になるのは半ば当然のことで、怒ってくれるのは早瀬が私と大切に思っている証でもある。
「……許せない、か」
その感情はわたしの中にもあるけれど。
早瀬と同じ意味ではない。
単純にすみれだけを憎めたら楽だっただろうが、怒りは自分にも向けられてしまう。
(やっぱり……ひっぱたいとくべきだったかな)
手を挙げたいわけじゃないが、激情を抱いていたことは伝えることができたはずだ。
「文葉?」
(それに……)
もしあそこで感情の堰を切り吐き出せれば今とは違う心境になれていただろう。
やっぱりあの時は突然の衝撃に頭が現実を受け入れるのを拒絶していたのかもしれない。
「……ちょっと、文葉?」
(あぁ、けれど……)
もしかしたら二度と会わないのかもしれない。
なら下手な勘繰りなどせずに自分の気持ちを言うべきだった。みっともなく心を露わにすべきだった。
でも……結果は変わらなかっただろうと諦観する自分もいて。
(ぐちゃぐちゃだ)
心の乱れを自覚してしまう。
後悔は際限なく膨らみ、このままどうにかなってしまいそうだった。
もしかしたら自覚なく涙でも流していたのだろうか。
「……文葉」
耳に優しい響きが届いて。
「ゆき……早瀬」
体を包むのは誰よりも身体のぬくもりを知っている相手で。
「…………」
「…………」
背中に回る早瀬の腕、正面で感じる柔らかな肢体と嗅ぎなれた香り。
……何も考えずにいさせてくれる早瀬の優しさ。
もし、もし今早瀬が「慰めてあげようか」とでも口にしたら、その唇をふさいでいたかもしれない。
でも、それはきっといけないことだ。
早瀬に甘えるのならいい。そのまま早瀬に傾倒できるのならそれもまだましだ。
私が今そういうことをするのならそれは、自慰であり自傷になってしまう。
早瀬を、親友をそんな風に利用してはいけないから。
(今は、何も言わないで)
それを願い、早瀬の抱擁を受け止めていた。