この日は酒に逃げることさえできなかった。

 部屋に帰った私は、呆然とベッドに横たわった。

 天井を見つめてはいるが、見ているのは見えないすみれのことだ。

 心の中には際限なくすみれが浮かび、様々な表情を見せては最後の俯いたありがとうを響かせて消える。

 そのたびに胸が痛む。

(……この終わりは、予想通りじゃない)

 どうしようもないからすみれは決めた。

 私があの場で何を言っても覚悟を済ませたすみれの心を無駄にかき回すだけになる。

 余計にすみれを傷つけるだけになる。

 だから何も言えなくて、こうして無力感に苛まれる。

 結局はすみれと話す前と心のあり様は変わっていない。

「いや……」

 無意味ではなかった。

 すみれはありがとうと言ったんだから。

 それは余計に私を傷つけ心を深い所に落とすものだが、すみれの終わりとしては前よりはましだろう。

 もっとも私にこの思いをさせたくないとすみれは悪役になろうとしたのだろうが。

「まぁ、いっか」

 早瀬のやつに文句でも言いたいところだが、すみれにとっては意味のあるものになったのなら無意味ではなかった。

 そう思っている自分がいて。

「……私はちゃんとすみれのことが好きだったのね」

 そのことを改めて思い知っていた。

 自分を犠牲にしてすみれが少しでも救われるのならいいと考えられる。

「そんなにいい子ちゃんじゃないはずだったんだけど」

 それともどうしようもなくなったことに意味をつけたいだけだろうか。

 だとしたら本当にむなしい人間だ。

「は、あ、はは」

 何が何だかわからず自虐的に笑う私は、寝返りを打ち視線の先にあるものを見つける。

 それは手帳だ。

 いつも持ち歩き、今日も無意識にか部屋での定位置である枕元に置いていたらしい。

 何故だろうか。それに手を伸ばすと心臓が逸った。

 ドクンドクンと動悸が激しく、しかし自分を止められずにその手帳を開く。

「…………」

 日記替わりの日々をつづったメモ帳。

 そこにはすみれのことも書かれている。

 

 綺麗だけど変な人に変なことを頼まれた。

 恋人になれと、早瀬以来のキスをされた。

 初めてのデートで、無理やり服をプレゼントしてきた。

 友達にならなれるかもしれない。

 やっぱりお金持ちですごい所に住んでいる。

 裸は綺麗だけど、思った以上にお子様だ。

 早瀬との昔のことを話してしまった。

 恋人として本気で求められてるんだろう。

 応えるべきか否か。

 花火大会にかこつけ部屋に誘われてしまった。手を出すべき?

 結局、キスすらできない。私はいくじなしで最低だろう。

 すみれとどうなりたいんだろうか。このまま一緒に居続けるつもりはそもそもあるの?

 綺麗だけど、可愛いって感じ。でもたぶん今は私に不満を持ってる。やっぱりキスくらいはする?

 旅行に来てしまった。結論を出さなきゃいけないんだろう。

 二日目。馬は嫌い。マウントを取ってくるすみれが子供っぽく、可愛い。

 明日の夜には答えを出さなきゃ。

 

「……ヤったとは書かなかったのね」

 手帳に書かれたすみれとの思い出。そのためのモノではなかったのに。いつしかこれはすみれのことばかりが書かれていて。

「あ、はは……はは……ふ、あははは」

 なぜか笑いが止まらなかった。

 いや笑いだけじゃなくて

「ほんと、すみれのことばかりじゃない」

 涙まで流れていた。

 意味があって書いていた手帳じゃない。ただ何となくだ。確か中学の頃からの癖。

 多分、小説か何かに影響されて始めた些細な癖。

 これまではほとんど機能することもなかったのに。

 すみれのことがこんなにも書かれている。

「どれだけ、あいつのこと考えてたのよ」

 涙に震えるその声は今更ながら心を揺らして。

「私……こんなにあいつが好きだったの?」

 ようやく自分の中で認めたその感情に

「あ、は……はは……ふ、あ……ぁ……あっ……ぁ、あ。ひ……く……ぅあ……あぁあああぁあああ」

 声にならない叫びをあげ私は泣くことが出来た。

 

 ◆

 

 気づけば、深夜だった。

 泣きはらした目でいまだに手帳を眺めている。

 涙は枯れることなく、今でもこうしていると胸が締め付けられるが取り乱したりはしない。

「……そういえば、好きって言ったっけ」

 行為の時には言っていたかもしれないが、明確に伝えたことはない気がする。

 だからって今更言えるわけないが。

 いつ、何を目的に言うのか。わざわざまた呼び出して好きだなんて言えるわけない。

 そこで駆け落ちでもするのなら話は別だろうが。

(それも、いいかもしれないけど)

 私はその選択をしないだろう。

 夢見る少女じゃないんだ。現実を見てしまう。

「………………」

 でもこのまま好きすら伝えないで終わらせる物分かりのよさもない。

 考えのまとまらないままぺらぺらと何度も何度も見返した手帳の中ですみれとの出会いの日を開き、

「………あ、は」

 乾いた笑いを零した。

 駆け落ちと今頭をよぎったことどっちが現実的で、どっちが夢見る少女だか。

 それにこれはすみれの為なんかじゃなくて、きっと私の自己満足でそれどころか……すみれの為にならないものかもしれない。

 ためにならないどころか……重荷になるだろう。

 だが、いやだからこそ。

「……まぁ、私にそんなことが出来れば、だけど」

 私はすみれに「呪い」をかけることを決めた。

6−3/6−5  

ノベル/ノベル その他TOP