「あ……ぁ……」
結花と向き合った瞬間、体全体が緊張に捕らわれ、震えだした。
話がしたかった。それに、やっぱり会いたかった。
でも、怖い。
好きな人に思う感情なんかじゃないけど、はっきりと怖いって思った。
だって、何を言われるのか、何をされるのかわからなくて、しかもあの時が思い返されて全身から嫌な汗が噴出してきそう。
そして、私は何を言われようと、何をされようと反論も抵抗もできない。
そんな権利はないんだから。
「は…ぁ……」
私は荒い息を吐きながら、後ずさった。
しかし、ガシャっとすぐにドアにぶつかってそれ以上下がることが出来ない。
「美貴!? どうしたの、顔真っ青だよ!?」
結花は私の予想に反し、心配そうに駆け寄ると顔を覗き込んできた。
「ぁ、ぅん……ちょっと頭、痛くて……寝させてもらうおうかなって」
私は拍子抜けというか、結花の様子に戸惑うと、口ごもりながら答えた。
「大丈夫? 帰ったほうがいいんじゃないの? 顔色ほんとにすごいよ?」
「だ、大丈夫よ、頭が少し痛むだけだから……」
まさか本人を目の前にして、結花が目の前にいるから緊張と不安で動揺してるなんて言えるはずもない。
「そう……? じゃあ、少し寝たほうがいいよね。今、誰もいないから大丈夫だよ」
「う、うん……」
私は結花に導かれるままにベッドへ連れてこられた。
上履きを脱いで、制服姿のままベッドに横たわる。
(……制服しわになっちゃうかな? 昨日の一つぬらしちゃって、まだ乾いてないのに)
「あ、そういえば、頭痛薬あったかも。ちょっととってくるから美貴は寝てていいよ」
結花はベッド脇から去ると、先生用の机近くの棚を探り出した。少し体を起こして、それを見てると結花はすぐに薬の瓶らしきものを持って戻ってきた。
「随分、手際いいのね」
「まぁ、保険委員だし。一応、どこになにがあるか説明受けてるから」
「そうなんだ……知らなかった」
「………ふーん。前に一回話したけどね」
「え、そうだっけ、ごめん」
「なんであやまるの? あやまることじゃないでしょ」
「そう、ね……ごめん」
そんなつもりないのに、結花を目の前にしたら気づくとそういってしまう。
「……別に、いいけど」
結花は感情のない声でそういうと、ベッドの横に備え付けてあるイスに座ったそのまま黙って私を眺めてくる。私は結花の顔がまともにみれないので、結花がどんな気持ちで私を見ているのか察することもできない。
「……んくっ」
結花が持ってきてくれた薬を飲んで私は完全にベッドに体を預けた。
白いベッドに横たわりながら、同じく白い天井を見つめる。このまま眠れてしまえば楽なのに、結花のことが気になってなかなか眠気がやってこない。しかも、結花が何もいってこないのがさらに私の不安を増大させる。
結花と話したかったはずなのに、何を言えばいいのかわからなくて、私は黙るしかなかった。
「………美貴さ、最近いつもあの子と一緒に帰ってるよね」
唐突に結花が口を開く。
「…………」
「……学校でもあの子と一緒にいるところよくみるし……」
「…………うん」
これは、事実。否定してもしょうがないこと。
結花があえて菜柚ちゃんの名前を出さないようにしてるのはわかる。名前を出さないことが結花にとって心を抑える限界のラインなのかもしれない。
でも、私にはそんなことより結花のいつもという言葉が気にかかった。
いつも、一緒に帰ってる。
菜柚ちゃんと一緒にいるところをよく見る。
実際はそうでもない。確かに、菜柚ちゃんの家にいったりすることは多くなったけど、学校で一緒にいる時間は結花と話さなくなってからもそんなに増えたわけじゃない。
それなのに、結花が私と菜柚ちゃんが一緒にいたところを見れたっていうのは、もちろん、たまたまそういった場面だけを結花がみたのかもしれない。ううん、例えそうだとしても、結花が私のことを見てくれていた。気にかけていてくれた。
こんなこと思うのは不謹慎だってわかってる、わかってるけど、
(……うれしい……)
すごく。
なぜなら、それはまだ結花の中には私がいるっていうことだから。
「ねぇ、美貴はやっぱり……」
キーンコーンカーンコーン。
結花が何かを言おうとしていたけど、昼休みの終了を告げるチャイムがなって続きが出てこなかった。
「………………ッ」
言葉はとめたけど結花は私から目を外さない。
保健室全体に、重苦しい沈黙が流れる。
「チャイム、なった、よ……」
「そうだね……」
「戻らない、の?」
「どうしよう、かな。どうせ、最近授業なんて聞けてないし」
結花はつまらなさそうに言うと顔をうつむけた。
同じこと言ってる。保健室に来る前の私と。
こんな些細なことだけど、結花と同じ気持ちを持ってるんだとわかるとまた胸が熱くなった。
「でも、戻ったほうがいいわよ。無断で休んだりしたら問題になるから……」
結花ともっと話がしたいけど、まだ自分の中の気持ちが整理できてないし、それにさっき飲んだ薬のせいか段々に瞼が重たくなってきた。
「うん、そうだよね……美貴のことも言っておかなきゃいけないし、戻るね」
結花はイスから立ち上がると、ベッドのカーテンを閉めて私に背中を向けた。
「結花、ありがとう」
影だけになった結花の背中にお礼を述べると私は瞼を閉じた。
「別に、お礼なんて、委員の仕事をしただけ、だから…………あのね、私やっぱり……」
徐々に結花の声が遠くなっていく。多分、結花が保健室の出口に向かってるんだろう。がらっとドアをあけると結花は最後に小声で呟いた。
「あの子とのこと、割り切ったわけじゃないから……」
それは、結花が自分にいった言葉だったのかもしれない。
でも、私の耳にもかすかに届いていた。
そして、その言葉を残して結花は去っていき私の意識もまどろみへと落ちていった。
「…………ぅあ……」
ザー。
雨の音がする。どうやらまだ雨はやんでないらしい。
雨の降りしきる音の中、私は目を覚ました。
ぼーっと、天井を見つめる。
なんで、学校の天井とかってこんな風に模様ともいえない変な亀裂というか、模様みたいのがあるんだろう。
(ここって、保健室、よね?)
「えっと……わたし……?」
あ、そうだ。確か昼休みに頭痛くなって、保健室に来たら結花がいて少し話して、結花が私のことまだ気に掛けてくれてるのが嬉しくって。で、ずっと寝てなかったから、寝ちゃったのか。
「っていうか、先生いまだにいないってどういうことよ?」
もしかしたら、午後の授業のときとかはちゃんといたのかもしれないけど、私からすれば昼休みからずっといないわけで、なんとなく憤りを覚える。
徐々に頭が覚醒してきて、私はベッドから降りるとしわになった制服を軽く整える。
うん、大分体の具合がいい気がする。元々、ただの寝不足だったんだろうから寝て起きれば当たり前だろうけど。
私はベッドを直して、保健室をでると自分の教室に向かっていった。どうやら、まだ放課後にはなったばっかりみたいで校内にはかなりの人がいる。
廊下を帰宅する生徒や部活に向かい生徒たちとすれ違いながら歩いていると、結花の教室の前を通りかかった。
(結花、まだいるかな?)
昼休みは私の調子があんなだったから結花は心配そうにしてくれたけど、私はあの言葉を聞いている。
開いていたドアから軽く教室を見てみたけど、どうやら結花はいないようだ。
あの言葉は、眠りにつく寸前、微かに耳に届いただけだったけど、頭にははっきり残っていた。
割り切ったわけじゃない。
曖昧な言い回し。私のことをどう思ってくれてるのかきちんと察することができない言葉。
「美貴さん」
でも、完全に嫌われてるわけじゃないわよね。私のこと、見ててくれたんだから。
「お姉ちゃん?」
やっぱりあそこに追い出すようにしたりなんかしないでもう少し話せばよかったかもしれない。
だって、私は一ヶ月ぶりに話せてただけで嬉しかった。菜柚ちゃんのこととか、怖いだなんて思ったりしたこととか、そんなこと関係なかった。少しの時間だけでも一緒にいられたことが嬉しかった。
「お姉ちゃん!」
いつの間にか並んで歩いていた菜柚ちゃんが私の腕を引っ張った。
さっきから菜柚ちゃんがいることには気づいていたけど、自分の思考に集中したくて反応が遅れていた。
「ごめん、なに結花?」
そして、私は今の自分の言葉に気づいていない。
「…………………」
菜柚ちゃんは急に悲しそうな顔をして黙り、腕を離した。
私は自分の言葉に気づいていないのだから、当然菜柚ちゃんが悲しそうにするわけも黙る理由もわからない。
「菜柚ちゃんどうかしたの?」
私が怪訝そうに菜柚ちゃんの顔を覗き込むと、
「ううん! なんでもないよっ。ね、今日もウチこない?」
人違いをされたことなんてなかったかのように、パァっと明るい笑顔を見せた。
「あ、ごめんね。今日はちょっと……」
今日は早く帰って考え事をしたかった。私のこと、結花のこと、菜柚ちゃんのこと。結花と話のできた今日なら、いつもよりちゃんと考えることが出来そうだったから。
「で、でも……ほ、ほらお姉ちゃん。昨日傘忘れていったでしょ、取りに来なきゃ」
「あ、そういえばそうね。でも、今日も傘あるから二本になっちゃうしまた後でもいいかな。あ、鞄とって来るね……っ!?」
歩きながら話し、教室の前に来た私は鞄を取ってこようと教室のドアに右手を掛けると、左腕を菜柚ちゃんにつかまれた。しかも、力いっぱいに。
「……お願い、お姉ちゃん」
「菜柚、ちゃん?」
「お願い、私と一緒に……いて」
菜柚ちゃんの言葉には、あの「はじめてをもらって欲しい」って言われたときのような妙な迫力がこもっていて、表情には緊張が見える。
私は、その迫力に押され
「う、うん……」
と言ってしまうのだった。