なに、してるのだろう。私は。
きちんと結花のことを考えたかったのに、結局菜柚ちゃんに誘われるままに菜柚ちゃんの部屋にやってきて、これじゃいつもと変わらない。
菜柚ちゃんはお茶を持ってくるといって部屋を離れている。私は部屋の隅に鞄を置かせてもらって、テーブルの前に一人座っている。
菜柚ちゃんの部屋は性格や見た目に反して結構質素。本棚には、少女マンガやら小説もあるし、ベッド脇にティーン誌なんかも転がってるけど、もっとぬいぐるみとか可愛い系のものがあっても良さそうな気もする。
そういえば、菜柚ちゃんは最近よく私を部屋に呼びたがる。四月あたりは一緒に帰ることはあっても、部屋に入ることなんてほとんどなかったのに。
よく誘ってくるようになったのは、確か、あの日から少ししてから。丁度結花と話せなくなって、一人での思考を捕らわれることが多くなってから。
結花のことを考えちゃうせいでいつもぼけっとしがちになってたから心配してくれたのかな?
自分のことを好いてくれてる人の前で別の人のことを考えるなんてひどいってわかってるけど、どうしてもとめられない。
「お姉ちゃん、おまたせー」
「あ、ありがとう」
お茶を汲みにいっていた菜柚ちゃんが部屋に戻ってきた。両手に持ってるカップから私が使わせてもらっているほうを受け取って目の前のテーブルに置く。
カップはマグカップだけど、そこに入っているのは緑茶。なんか、マグで緑茶ってそれだけで少し悪いことしている気分になる。
…………私だけ、だろうけど。
普段なら、ここで菜柚ちゃんが色々な話題をふってきてそれに関して話をしたり、甘えてくる菜柚ちゃんと軽くじゃれたりするところだけど、今日の菜柚ちゃんは黙ったままだった。カップを置いて私の隣に座ったまま思いつめたような顔をしている。
「菜柚ちゃん? どうかした?」
ズッっと一口だけお茶に口をつけてから気遣いの言葉をかける。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
菜柚ちゃんは私の言葉に答えながらも表情は変わらない。
「なに?」
「お姉ちゃん、私のこと好き?」
「え、ど、どうしたの? いきなり」
「……答えてよ……」
表情だけじゃなく、声にも不安の色が混じっている。
「……好き、よ。もちろん。当たり前じゃない」
数ヶ月前まではこんな風に正面きって好きだなんていうの恥ずかしくてたまらなかったのに、今は驚くほどすんなりといえる。
「うん、ありがとう……」
菜柚ちゃんの望む言葉のはずなのに、私の好きを聞いても菜柚ちゃんの表情は晴れない。
「……じゃあ、結花さんのことは?」
「え…………?」
いきなり予想していなかった結花の名前を出されて私は狼狽する。
「ゆ、結花って……どうして?」
「……答えて。お願い、だから」
さっきから菜柚ちゃんの声は限りなく感情を殺しているように聞こえる。顔は相変わらず固く、黒水晶のようなつぶらで美しい瞳が私を捉える。
「…………結花さんの、こと好き?」
もう一度はっきりと問われる。
(………………)
沈黙こそ答えともいえる状況で私は黙るしかなかった。今まで菜柚ちゃんは、面と向かって結花のことを話したことはない。多分、一度も。無意識に菜柚ちゃんは結花のことを無視しようとし、私も意識的に菜柚ちゃんの前で結花のことを話そうとはしていなかった。
意識的には。
「…………うん」
私は小さく呟くと、ゆっくりと頷いた。
結花に菜柚ちゃんとのことを黙っておいて今さらだけどこれ以上好きな人をだますなんてまねはしたくなかった。
菜柚ちゃんは私の答えを聞いても別段表情を変えることもなく、水晶の瞳で私を見続ける。
私が結花のことを好きっていうのは、予想通りの答えだったんだろう。
そして、次に発せられる言葉こそ菜柚ちゃんが本当に聞きたかったことなんだと察した。
「私……よりも?」
押し殺していた感情の波が少しずつ表面に出てくる。
これは、不安と恐怖。
「菜柚ちゃん……」
「お姉ちゃん、気づいてる? お姉ちゃん、今日私のこと『結花』って呼んだんだよ……」
「え、う、嘘」
「本当、に……気づいてないんだ」
もう菜柚ちゃんの声は感情を押さえるどころか、泣きそうなまでになっていた。
「今日だけじゃないんだよ。一昨日も、一週間前も、その前も……何回も私の、こと『結花』って呼んだ……」
「そんな……」
全然記憶になかった。でも、記憶にない、覚えがないですませられることじゃないっていうのは菜柚ちゃんのこの震える小動物のような姿を見ればわかる。
私は結花に菜柚ちゃんとのことを見られたときのように血の気がサーっとひいていくのを感じた。
今さっきお茶を飲んだばかりなのに喉がカラカラに渇いてくる。
「ねぇ、お姉ちゃん。私と結花さん、どっちが好き……?」
そんなこと聞かないで、よ……。
正直、菜柚ちゃんのことが正面から見れなかった。
「そ、んな…こと、くらべられない…わよ」
こんな曖昧な答え、菜柚ちゃんは望んでいない。それどころか、ここではっきりと菜柚ちゃんのほうが好きと言えないだけでも、菜柚ちゃんの不安を増長させるだけだってわかってるのに、私にはこの言い方が精一杯だった。
「……お姉ちゃん今、結花さんと喧嘩してるんだよね……私、知ってるよ。私のせいなんだよね、私とこういうこと、してるから……」
変わらず震える声で菜柚ちゃんは私の手をとると、潤んだ瞳で訴えかけてきた。
キスして、と。
悲痛な表情で見上げてくる菜柚ちゃんから私は思わず、拒否するように体を引いてしまった。
「…………っ! 」
菜柚ちゃんの息を飲む音が聞こえた。
(…………結花…………)
さっきから、何故か結花のことが頭に浮かんで離れない。
「……お姉ちゃん、私はお姉ちゃんのこと怒ったりしないよ? 結花さんみたいにお姉ちゃんのこと嫌いになったりなんて絶対しない……お姉ちゃんが他の人といても、結花さんのこと、好きでも、やだけど、いいから。二人のときは、私のことを見て……私のことだけを考えて、私のことを好きでいて……」
菜柚ちゃんの私を握る手に力がこもった。
「菜柚ちゃん……」
抱きしめたい。
抱きしめて、キスしたい。
抱きしめて、キスをして、菜柚ちゃんが望むこと、求めること全部してあげたい。
菜柚ちゃんのことを愛してあげたい。
菜柚ちゃんとの「はじめて」の時のような衝動に駆られた。
抱きしめたいのに、キスしてあげたのに……
(……どうして、結花……のことが……)
考えるのは、結花のことだった。
菜柚ちゃんはいいって言ってくれた。私が結花のことを好きでも、嫌だけど、いいって。
じゃあ……私…は? 結花は!?
私は結花がだれかといたら、結花が誰かのこと好きだったら我慢できるの?
目の前にいるのは菜柚ちゃんだというのに、私は結花のことしか考えられなかった。
(…………だめ……そんなの絶対、だめ……)
そんなの、絶対に耐えられない。
なのに……なのに……
(……私、わたしは………)
菜柚ちゃんのこと好きになって、キスして、デートして……
「………………………………」
(………………………結花……)
どうしても何もなかった。私が結花のことを考えるのは……
私が、結花のことを好きだから……
他の誰よりも、結花のことが……
……………行かなきゃ。
結花に会いにいかなきゃ。
私は、菜柚ちゃんの手を優しく握り返した。
「ごめん、菜柚ちゃん……私、行く…ね」
「っ!!? おねえ……ちゃん……」
そして、そっと手を外して立ち上がった。
「待って! いいからっ! お姉ちゃんが結花さんのこと好きでもいいからっ! だから、今は、今だけは私のことをみて、抱いて……お願い……、お願い、おねえちゃん……わたしと……」
ぼろぼろと菜柚ちゃんの瞳からは大粒の涙が溢れていく。
はじめ菜柚ちゃんと付き合いだした頃、同情がなかったとは言えない。でも、きっかけがなんだったかなんて関係ないほどに菜柚ちゃんといるのは楽しかったし、菜柚ちゃんのことを好きになった。
今だって、菜柚ちゃんを抱きしめたくてたまらない。「はじめて」のときのように。
でも、
私は片膝を突いて菜柚ちゃんの頭に手を置いた。
「菜柚ちゃん、ありがとう。菜柚ちゃんの気持ち、すっごくうれしい」
あの時とは一つだけ違った。
「私、菜柚ちゃんのこと、好きよ。大好き。……でも、ごめん……世界で…二番目、なの」
私が世界で一番結花のことが好きだって気づいたこと。
「私、結花が誰か好きな人がいたりしたら耐えられない。結花も、きっと同じだと思う。だから、菜柚ちゃんといられない」
今さら、もう遅いかもしれないけどそれでも結花のために、私のために菜柚ちゃんとはいられない。
「……私は、お姉ちゃんが私のこと好きなら……えぐ…それでもいいって……んくっ」
菜柚ちゃんの言葉は自らの嗚咽にまぎれて消えてしまう。
「ううん。多分、違うわ。今はそうやっていうしかないだけ。菜柚ちゃんだって、私が結花のこと好きだったら耐えられない。だって、本当に私が結花のことを好きでいいなら、そんなこと言わなくてもよかったものね。耐えられなかったから、私が菜柚ちゃんのこと結花って呼んだこと教えてくれたんだよね? どっちが好きかなんて聞いたんだよね?」
「違う…ひっぐ…もん……」
私は、菜柚ちゃんの頭から手をひいて立ち上がると菜柚ちゃんに背を向けた。
「菜柚ちゃんといたの、楽しかった。…………………ありがとう」
それだけを言い残すと足早に菜柚ちゃんの部屋を出て行った。
未練と罪悪感と、寂しさと、「おねえちゃん、おねえちゃん……」とむせび泣く菜柚ちゃんを振り切るように。
そして、土砂降りの中私は走りだす。
(……結花!)
結花に会わなきゃ!