「ハァはぁ、は……ぁ、はァ」
体が、重い。
肺に生ぬるい空気が入りこんで苦しくて、気持ち悪い。
一歩足を踏み出すたびに、足元でピシャと水が跳ねて、靴下をぬらしていく。もっとも、この雨の中傘をささずに走っているので、制服全部が水を吸ってしまっているからそんなの関係ないけど。
結花はまだ家に帰っていないらしく、携帯も相変わらずつながらない。メールは出したし、結花のお母さんには帰ったら私に連絡して欲しいって伝えておいたけど、とてもじっとなんてしてられなくて私は荷物を置いて家を飛び出していた。
傘を差すのもわずらわしく、持っているものといえば携帯を大事に握り締めているだけ。
当てがあるわけじゃないけど、まだ帰っていないのなら学校にいるかもしれない。そんな淡い希望のまま今、学校に向かっている。
「あっ!」
と、一瞬体が宙に浮いた。
ついで、バシャっと言う水を跳ねる音。
「っ〜〜」
私は、思いっきりコンクリートの地面に突っ伏してしまった。ガシャと、手にしていた携帯も思わず落としてしまった。
(…………かっこわる……)
幸いにして、周りに人がいなかったから見られてはないみたいだけどただでさえ濡れていた制服がひどいことになっている。自分のことがバカらしく思いながら落とした携帯を拾うと
「えっ、うそっ!?」
なんと、落ちた拍子にバッテリーが外れて地面に転がっていた。
「………………」
どう考えても、これをもう一度付け直すなんてことできるはずもない。
結花への、結花からの連絡方法は今のところこれしかないっていうのに。
でも、今さら立ち止まるわけにもいかない、学校まではもう少しだし。
私は、使えなくなった携帯をポケットに入れるとまた走りだした。
もう体はこれ以上ないくらいに濡れているし、ほとんど全力で走ってるから肺が苦しくてたまらない。
いつもの通学路をこんな風に通るなんて考えたこともなかった。
たまにすれ違う人が奇異の目で私をみてくる。だけど、私はとまらない。
どんなにみじめでも、滑稽でもいい。とにかく一秒でも早く結花に会いたかった。
「はっ、あ…、は、ふぅ……ハぁ……はぁ」
着いた。
私はもつれる足で下駄箱に向かった。
(制服着てなかったら、多分通報されてるわね)
こんな状態じゃいくらなんでも校舎の中に入れない。結花の上履きがあったらここで、待ってよう。
私は、体中から雫を滴らせながら結花の下駄箱に手をかけた。
「………………ない……や」
ザーっ。
相変わらず雨が強い。私の心の中まで降り続けるほどに。
そりゃ、そうよね。
そんな、うまくいくはずない。超能力でもつかえるわけじゃないんだから、いくら私が会いたいなんて思ってもそれが相手に伝わるはずもないし、相手がどこにいるかわかるなんてこともない。
私は、疲れきった心と体のまま帰り道を行っていた。当然傘はないし、来るときのように走ったりもしない。打ち付ける雨をそのままに受ける。
(寒い……)
体も、心も。
……携帯がなければ連絡とりようないし、結花がどっかに寄り道してたとしてもこのままじゃどこにだっていけない。
正直、馬鹿なことしてると思う。
菜柚ちゃんのことを受け入れていれば、こんな気持ちにならなかっただろうし。こんなにむなしい思いもすることはなかったはず。それに、いくら結花に私の気持ちを伝えたところで結花が私のことを許してくれるとは限らない。
二人とも失ってしまう可能性だって十分ある。こんな言い方は嫌だけど菜柚ちゃんなら確実に両想いになれた。
でも、それでも菜柚ちゃんとはいられなかった。結花のことが一番好きだから。
菜柚ちゃんがそのことに気づかせてくれるなんて皮肉としかいいようがない。
(………結花………)
私は、結花と別々になる分かれ道にたどり着いた。
ここで、結花から告白されたのよね……
バレンタインのチョコをもらって、こんな道端で口移しでチョコ頂戴って言われて、結局私は躊躇しちゃって結花にされるがままで。
私と結花の「はじまり」になった場所。
あれから、まだ四ヶ月しかたってないのよね。
(…………………)
本当言えば、今からまた結花の家に行きたい。学校から帰ったのなら一番可能性高いのは家だろうし。
でも、こんなぬれねずみが来ても迷惑なだけ。
ドラマとかならどんなにびしょ濡れになっても、かまわず会いにいってるし相手がどこにいるかわからなくても最後にはちゃんと会える。
現実は、そんなにうまくいくわけ……ない。
どこかこのまま結花の家にいけば会えるんじゃないかなんて希望を抱いた自分を馬鹿らしく思いながら自分の家方面に歩を進めようとした。
「美貴っ!!???」
しかし、歩き出した私のすぐ後ろから、今一番話をしたくて、一番会いたい人の声が
結花の声がした。
今日昼休み結花と会ったときは怖くてたまらなかった。結花と話せることよりも不安が勝ってしまった。
けど、今は……
「結花……なんで、ここに?」
嬉しくてたまらない。
会いたいって思ってた人に会えることがこんなに嬉しいことだったなんて。
「だ、だって帰ったらお母さんが美貴がなんかすごい思いつめた顔で私に会いに来たって言うから。携帯に電話したけどつながらないし家にかけても誰もでないし、メールも帰ってこないし」
「それで、探しに来てくれたの……?」
「ま、まぁ、そうだけど……ってそんなことより! 何やってるの!? こんな汚れて、濡れちゃって、それに傘もないし……」
結花は、驚きの表情で私に傘を傾けてくれた。
「と、とりあえず、ウチいこ? お風呂沸かすから」
菜柚ちゃんとのことなんて忘れてるんじゃないかって思うほど結花は本気で私を心配してくれて、手を引くとそのまま家に連れて行こうとした。
「……っ!? 美貴……?」
私は、その手を払いはしなかったけどその場に踏みとどまった。
「私……結花に言わなきゃいけないことがあるの」
「そ、そんなことよりまずは雨宿りでしょ?」
「聞いてっ!!」
私は思わず語気を強めて結花の手を払った。
「……あの子の、こと?」
なんとなく内容を察知していたのか、結花は私から少しだけ離れて私の言葉を待った。傘を私にも差しているので距離があるってほどはないけど。
結花が私を見つめてる。私のことを心配してくれてて、でも不安そうな瞳。
何を、どんな風にいったら許してもらえるとかはどうでもいい。もし、謝って許してくれるのならいくらでも謝るけど、そんなことより私が伝えたいのは別のこと。
「さっきまでね、私菜柚ちゃんの部屋にいたの」
寒さで声がうまくでないけど、雨の音に消されないようにはっきりと結花に話しはじめた。
「……そぅ、なんだ」
結花はさきほどまでの私を心配してくれたのとは一転、声に力がなくなって悲しそうな表情を浮かべた。
それでも、視線は外さない。
私も真っ直ぐにそれを受け止める。
「それで、菜柚ちゃんとさよならしてきた……」
「え…………」
「こんなこと、今さらだなんてわかってるけど、ごめんなさいっ! 私、自分のことしか考えてなかった。ううん、今だって自分のことだけで頭がいっぱい」
そう、今だって多分自分のことしか考えられてない。結花にこんな風に謝るもの、気持ちを伝えるのですら自己満足かもしれない。
「………………」
「菜柚ちゃんにね、言われたの。『私と結花さんどっちのほうが好き?』って。私、最初答えられなかった。そしたら、菜柚ちゃんがいうの、私のことを好きでいてくれるなら、結花のこと好きでもいいよって……」
「それで……美貴はなんて答えたの……?」
「ごめん、って言った」
「……どう、して?」
結花の持つ傘が少し震えだしている。私同様に押さえきれない感情の波がそうさせているのだろう。
「結花が私以外の誰かのこと好きになったら……? って考えたら、自然と出ちゃった。…………結花」
鋭く名前を呼んで、一拍呼吸を整えた。
「私……結花が好きよ。菜柚ちゃんのことより、結花のことが好き……大好き」
「…………………」
結花は沈黙している。もしかしたら、呆れてるのかもしれない。
都合がいいだなんて、自分で嫌っていうほどわかってるから。
「……私、都合いいこといってるわよね。今まで散々菜柚ちゃんといたくせに、結花にも嘘ついてたのに、ほんと、今さらよね。調子いいこといっちゃってるよね。でも、でも言いたかったの! 一分でも、一秒でも早く、結花に好きって言いたかった……世界で一番結花のことが好き…って」
「………………………………………」
結花はまだ沈黙を解かない。私は、緊張と不安で結花の顔を見ることが出来なくて、二人の間を流れる空気が怖くてたまらなかった。
またはたかれるかもしれない。今度こそ完全に愛想尽かされるかもしれない。
そんなことを思うと不安に押しつぶされそうで、耐えられなくて、
「…………それだけ、言いたかったの………そ、それじゃあ…」
結花の言葉を聞くのが、私の気持ちの答えを聞くのが怖くて、私は踵を返した。
「待って!」
そんな私を結花は呼び止める。
「言いたいこと言うだけいって逃げるの? 私の気持ちも聞かないで」
「……………………」
私は長く押し黙ったあと「……そう、よね」といってまたクルっとターンをする。
私は、結花の答えを聞かなきゃいけない。例え、それが私の望むものじゃなくても、聞かなきゃいけない。
それが菜柚ちゃんへの責任でもあるから。
怖いのは変わらないけどなんとか結花を正面からみることができた。
結花もなかなか言葉を発しないまま、何故かいきなり傘を手放した。
(……?)
私がそれを不思議に思い首をかしげると……
「……っ!?」
傘を離した結花は私を抱きしめてきた。
「ちょ、ちょっと……ゆ、結花。な、なにしてるの? こんなことしたら、濡れ、ちゃうよ……わ、わたし、びしょ濡れ、だし、そ、それに……転んだから変な匂いするかもしれないし……」
私は突然の結花の感触がしたことにびっくりして取り乱してしまう。
「……わたし、私も、美貴のこと好き……」
そういって、結花は私を抱く腕に力を込めた。
「……あの子のことすっごいショックだったし、まだ許せないし、美貴のことちょっと嫌いになりそうにもなったけど……でも、それでも私、この一ヶ月、美貴のことしか考えられなかった……」
結花の体は震えていて、声も泣きそうな感じになっている。
「だって、美貴のこと大好きだから! あの時は、頭の中が真っ赤になっちゃって怒ったけど、美貴が私のこと好きじゃなくなっちゃったのかなって思ったら、すごく悲しくて、ほんと悲しくてずっと美貴とも話せなかった。美貴と会うの怖かった……もう私のことなんてどうでもいいなんて言われちゃうんじゃないかって……」
「結花……」
結花はいつも私、いや誰にだって自分の弱さをほとんど見せようとしない。いっつも自分勝手で、結構わがままで、強情で……でも、そんな結花がたまに私だけに見せてくれる結花の弱さ。
私が、結花の「特別」な証。
私は結花の体を優しく抱いた。
もう結花の体は私からのと雨のせいで私と同じくびしょ濡れになっちゃったけど、結花の体の暖かさが、愛しい人のぬくもりが私を包んでいく気がした。
「……っ。……でも……美貴も私のこと好き、だったんだ……好きでいてくれてたんだ……」
結花は体を離すことなく、触れてしまいそうなくらいに顔と顔を近づけて、潤んだ目線を私に向けた。
「私、美貴のこと好きだよ。大好き! ……私も世界で一番美貴のことが好き……ね、美貴……」
結花の熱い息をはき、
「……して」
くちびるを私に差し出すようにして目を瞑った。
「……うん」
そして、私たちは一ヶ月ぶりのキスを交わす。
一ヶ月ぶりの結花の感触はそんなに変わってるはずもないのに、やわらかくて、暖かくて、すごい心地よくて。
「ぅっむ、ちゅ……はぁ、結花…んっ…好き! 大好き!」
私は、激しくキスを交わしながら、胸の奥から溢れてくる気持ちを言葉にする。
「ちゅん…んむ……はぅ…ん…わたし、んっ、わたしもっ」
結花も私に答えるように舌を返しながら、互いに抱きしめる腕にぎゅーーーっと想いを込めて体を引き寄せあう。
もう二度と離さないと誓い合うかのように。
結花の舌が、くちびるが、震える体が、声が、吐息が、ぬくもりが、大好きな人の、一番愛したい人のすべてが心を満たしていく。
「はぁ……あは……ハァ……う……ん〜〜」
一度くちびるが離れても、まだ足りないとばかりに口づけを行う。
(ゆか……結花……結花!!)
もう何も考えられない。
結花のすべてが気持ちよくて、濡れた結花の体が愛おしい。
雨で冷え切ったはずの体が熱くなって、結花を求める行為が止まらない。
「んっ! あふぅ……ふぁ、ぅむ!……ちゅ……」
今までのどんなキスよりも、激しく熱く、お互いを求めあう。
「ぅん……美貴、はふぅ……ん……みきぃ……」
周りの雨は相変わらずなのに、くちゅくちゅと艶かしい水音が体中に響き渡る。
「はぁ……結花、くふぅ……ぁ……ゆかぁ……」
結花の声が私を高め、私の声が結花を高めていく。
頭の芯からつま先まで、痺れるような快感が走りっぱなし。
ほとんど呼吸すらしなくて、立っているのがつらい。
「うぅむ……はぁん、あぁ……」
つらいのに、くちびるを触れ合わせる甘い感触が心地よくてやめられなかった。
そして、私たちは内から溢れてくる好きが収まるまでキスを交わすのだった。
「はっ、はぁ……っはぁ……」
実際は数分のはずだけど、一時間くらいしてたんじゃないかと思うほど気だるい疲労感を感じる。
我に返ってみるとものすごい恥ずかしいけど、まだ体が火照ってる。雨がものすごい降りつけてきてるのにむしろ熱くさえ感じた。
「えへへ……私も濡れちゃっ、た……」
結花は落とした傘を拾うとはにかんだ笑顔を見せた。
「あーぁ、この時期じゃ乾きにくいのに」
そのまま傘をたたんで私の側までやってくる。
「美貴、ちゃんと責任取ってよね」
「せ、責任って……」
いきなりそんなこと言われても。
「まずは、あったかーいお風呂かな? 美貴の家のほうが近いし、それくらいしてもらわないとね」
「それくらいいいけど……」
「うん、じゃあいこっか」
結花はそういって手を重ね合わせてきた。私はすぐ指を絡ませて手を繋ぐ。
結花の手……
あったかい。
「そういえば、さっきのまずはって、どういうこと?」
まずっていうのは、もちろん、次があっての言葉。
「……次のは……そのとき、ね……」
恥じらうようにいって、結花は頬を赤らめた。
それに少し釈然としなかったけど、まぁいいやとも思えた。
私は結花のことを愛しているのだから……
そして、私は握った手に一人想いを誓う。
もう絶対にこの手を放さない、と。
梅雨が明けて、夏になって、秋が来て、冬が過ぎて、春になっても季節が何度回ってもずっとこの手を放さない、と。
私は、固く誓うのだった。