香里奈の行動は早かった。
茉利奈に挑発をされた翌日には玲菜を家に呼び出していた。
いつも玲菜が通されるリビングで、いつもと同じようにまずはお茶をだしいつもなら対面にいる茉利奈の横にいた香里奈が今は玲菜の隣にいる。
「話とは、なんだろうか?」
香里奈が淹れてくれたお茶に口をつけてから玲菜は落ち着いた調子で問いかけた。
「あ、っと………えと……」
冷静な玲菜と対照的に香里奈は人生で初めての経験を前にして顔を真っ赤にし、落ち着きのない様子を見せる。
「ん、と………あの、ね」
香里奈とて茉利奈に自分の気持ちを指摘されてからいや、される前からこの場面を考えてはいただろう。しかし、いざ崖を目の前にしてしまえばたとえその先に楽園が待っていたとしても飛び越えるのは容易ではない。
いや、飛び越えた先にさらに落とし穴が待っているかもしれないのだ。なおさら軽々に進めるわけはない。
「………ふむ」
そんな香里奈の心情を知ってか知らずか、玲菜は香里奈へと手を伸ばし
「っ……ふぁ……!?」
ポンポンと頭を叩いた。
それは香里奈が最も嫌う子供扱いされているような行為だが香里奈は嫌がることはなく、面映ゆげにそれを受け入れる。
「落ち着いたか?」
「……うん。ありがとう」
玲菜の柔らかな笑みに香里奈も穏やかな笑顔を返す。
そして
「あの……ね」
とてつもない動悸を感じながらも、真剣に玲菜を、懸想する相手を見つめた。
「ぶちょ……久遠寺先輩……ううん、玲菜、さん」
「玲菜でいい」
「っ……玲菜。わたし……私、ね。玲菜が好きだよ」
人生で初めての告白は意外なほどにあっさりできてしまった。
「いつも一緒にいて楽しいって思うし……すごく安心する。こんな気持ちになったのはお姉ちゃん意外じゃ初めて………ううん、お姉ちゃんにも感じたことないくらいドキドキするの一緒にいて嬉しいの。いつも一緒にいたい、ずっと一緒にいたいの」
緊張は後からやってきて、瞳が自然と潤んでいく。それでも少し早口になった告白を止めずに玲菜を一心に見つめた。
「だから! 私とお付き合いしてください」
そう力強く言葉を閉め、香里奈は視線をそらさずに玲菜からの答えを待つ。
「………………」
玲菜は驚くでも、喜ぶでもなく、ただ優しい視線を香里奈に送り。
「……少し、私の話をしてもいいだろうか」
香里奈が想像するのとはまるで違う言葉を吐いた。
「え?」
ぽかんとする香里奈。一世一代の告白を素通りされた心地で不安にもなるが
「お前に聞いてもらいたいんだ」
玲菜の言葉が真に満ちていて改めて心を正す。
すると玲菜はおもむろに右の袖を捲ると、決して自分から人に見せようとしなかった傷をさらした。
香里奈にはわからないがそれは玲菜にとってはとてつもなく大きなこと。
ただ、そこに残る傷は以前部のみんなに見られた時よりも薄くなっている。
「……なんの痕だか、わかるか」
「……………………う、ん」
「いわゆるリストカットというやつだ。……私はな、ずっとそれを止められずに過ごしてきた」
淡々とした口調で玲菜は傷の意味と理由を語った。両親に捨てられたことによる、自分への不信と、結月に対する嫉妬から抵抗なく自分を傷つけるようになったこと。やめたいと思いながらもやめることができなかったこと。
「……私は、このまま一生この傷を抱えていくのだと思っていた。やめたいと思っても、やめられる想像もつかなかった」
そうして自分を嫌悪し続けながら生きていくしかないと思っていた。
「だがな、ここしばらくはしていないんだ。自分で気づきもしなかった。お前と一緒にいるようになってから、自傷行為をしようと考えることはなかったんだ」
「え……?」
「理由は自分でもよくわからない。だが、お前……香里奈との時間が私を変えてくれたのだと思う。そんなことは今まで誰にも……結月にすら感じたことのない感覚なんだ。香里奈が、初めての相手だった」
リストカットをしていなかった理由は玲菜の中ではっきりとしない。ただ香里奈の世話をするのが忙しく忘れていただけなのか、自傷行為から逃げるために香里奈を求めたということが無意識の自制を働かせていたのか。わからない。
はてまた香里奈と過ごすことで自分に価値を見出したのか。
(最後のであって欲しいな)
自分を認めるということ。それが玲菜が望み諦めていたことだから。
「そして、これからもしたくないと思う。それも理由はよくわかっていないがな。だが、きっとお前を悲しませてしまうだろう」
「あ、当たり前だよ。玲菜が自分で自分のことを傷つけるなんて絶対にやだ」
好きな人が自分自身を好きでないということはある意味好きな人に嫌われるよりも辛いことのような気がする。
「……ありがとう」
「れ、な?」
「お前がそう言ってくれることが嬉しい。これを恋と呼ぶのかはわからない。だが、私はお前を、香里奈を好きだと思う。いや、思うという言い方は失礼だな」
こんな時でも玲菜は玲菜らしく冷静に泰然としながら
「っ!」
香里奈を抱き寄せると、
「私もお前が好きだ」
万感の思いをその短な言葉に込めた。
「これからもお前と共に歩んでいきたい。お前といることが私の幸せだとそう思えるように、お前にそう思ってもらえるように」
「私は……玲菜と一緒にいるのが幸せだよ。これからだってずっとそうに決まってるもん」
「……ありがとう」
言葉は少ないながらも一言一言に心をこめ、玲菜は香里奈の肩を掴む。
「………………」
言葉にせずに香里奈の瞳に意志を投げかけ
「…………うん」
香里奈も玲菜の言葉にしない言葉を受け取る。
「いいのか? 【お姉ちゃん】に聞かなくても」
「……いいの。私が玲菜にして欲しいって思うんだもん」
「目、閉じないんだな」
「だって、玲菜のこと見ていたいから」
「……そうか」
優しくつかんだ肩を引き寄せ、距離を詰めると玲菜は徐々に瞳を閉じていき、香里奈は宣言通りに開いたまま……どちらともなく小さく好きと声を出し
「…………っ」
唇が重ねられた。
それは二人の初めての、そしてこれから幾度となくするであろう口づけ。
(……香里奈)
その愛しい感触に酔いしれながら玲菜はこの大きく、しかし小さく可憐な少女を大切にしていきたいと胸の裡に誓うのだった。