夏の夜は、どことなく神秘的。

 昼間あれほど強かった日差しは、柔らかな月の光へと変わり、時雨のように降り注いでいたセミの声もしない。

 静寂が支配する夜。

 いつもなら、就寝時間前であればどこからか話声や足音が聞こえてくるけれど今日はまるで音がしない。

 本当にこの階には私たち以外には誰もいないんだということを改めて実感する。

 本当に静かでまるでこの建物、いや大げさにいうならこの世界に私とせつな先輩の二人しかいないような錯覚すら覚える夜。

 そんな中で先輩の部屋にいる私は

 

 

 先輩の手が優しく髪を撫でる。

 私が恥ずかしさとくすぐったさ思わず

「んっ……」

 と、身を強張られた。

「緊張してるの?」

 すると、先輩はまっすぐに私を見つめて問いかけた。

「は、はぃ」

 いろいろ頭の中を駆け巡りすぎて、本当はもっと言いたいことがあるのに短くそう答えるのが精いっぱい。

 顔は紅潮し、四肢はまるで自分の体じゃないように重苦しい。

 深く息を吸わないと、地上にいるのにおぼれてしまいそうな錯覚を受けるほどに体が重く、固く………火照っている。

「そう……」

「あっ」

 先輩はそんな手を取るとそのままある場所へと持って行った。

 ぽよんと思ったよりも弾力のある感触に迎えられ、そこに手を押し付けられる。

「どう?」

「なにが、です、か……?」

「目を閉じて、私を感じてみて」

 何をされたのか、何をすればいいのかわからず、私は先輩の胸に手を当てたまま言われたとおりに目を閉じた。

 すると

 ドクン、ドクン、ドクン

 先輩の鼓動が聞こえた。とても早く、私と同じように激しい動悸をしている先輩の鼓動が。

「先輩……」

 私は、それがなんだかうれしくて安心して、先輩を見つめる。私と同じように赤くなっていて、瞳は情熱的に潤んでいる先輩を。

「大好きなあなたとこんなこと、してるんだもの。緊張して当然。嬉しくて、当然でしょう」

 先輩はそういうと、にっとこの場にはふさわしくないでもとてもかわいい笑顔を浮かべた。

「先輩……大好きです」

 私はその笑顔にひきつけられ、先輩の手を取り、指を絡める。

 先輩はつながる手に力を込め、私を引き寄せ、そのまま唇を……………

 

 

(……って! 何を思いだしてるのよ私は!)

 いつだったか陽菜に無理やり読まされた小説の内容を思い出していた私は四脚テーブルの対面にせつな先輩を見れず顔を真っ赤にさせて思わずうつむいた。

「渚?」

 そんな過剰反応にせつな先輩はしっかりと気づいてしまって心配そうな声をかけられる。

「どうかしたの? 今日はちょっと変よあなた」

 当然、先輩は私の様子に気が付いていて多分ずっと飲み込んでいたであろう言葉を吐き出した。

「な、なんでも、ありません」

 先輩が今まで聞いてこなかったのは私の口から言ってほしかったのだということをなんとなく感じながらも私は、悩みのことなど口に出せるわけもなくまたうつむいてしまう。

「………ふーん」

 私を見つめる先輩の目はどことなく不思議な感じ。私が拒絶したというのにどことなく嬉しそうというか、そんな雰囲気がある。

「まぁ、こういう時の渚は大体可愛いこと考えてるんでしょうけど」

「なっ!」

 話さないことに憎まれ口をたたかれるわけでも、悲しむわけでもなく、予想外なことを言ってきた先輩に私は虚を突かれた。

 【可愛いこと】かどうかはともかく、先輩には私がどういったことで悩んでいるかを察しているらしい。

「……ふむ」

 と、せつな先輩は手元に置いてあった本を閉じて私の正面へと回ってきた。

「なん、でしょうか?」

「いい機会だから一つ言わせてもらおうかと思って」

「はぁ……?」

 落ち着いた雰囲気ではあってもどこか、それだけじゃないものを感じさせる先輩に私は思わず正座になって次の言葉を待った。

「私、あなたにほんと感謝してるのよ?」

「……はい?」

「まぁ、どういう感謝かは渚が勝手に考えてくれればいいけど。私は渚に感謝してる」

 繰り返す先輩の感謝の言葉。

 漠然とした言葉に私は意図がわからずただ先輩のことを見返すだけ。

「渚が悩んでたらそれを知りたいし、力にもなってあげたい。まぁ、今回は余計なお世話なのかもしれないけど。でも、本気でそう思ってるのよ。私は、貴女の恋人なんだから一番近くであなたを支えたいの」

「先輩………」

 まっすぐにぶつけられる先輩の気持ち。

 私を想う気持ち。

 一切回り道なく私の心に直接響いてくる先輩の心。

(……………)

 状況が何も変わったわけではないのに、私の心は一気に軽くなった。

「そういうことだから、何かあれば何でも相談しなさいな」

「いえ………」

 私は意識することなく目の前にあった先輩の手を取って

「もう、解決しましたから」

 晴れやかな笑顔でそう言えた。

「そう? なら、よかったわ」

 悩んでるというわかっていて、なのにいきなりこんなことを言う私に先輩は優しく微笑み返す。

 そう、先輩はこういう人だ。

 陽菜のせいで妙な勘繰りはしちゃったけれど、先輩はこういう人だ。わかっていたけれど、改めてそれを再認識して私は胸をあたたかくさせる。

(……まったく、陽菜は)

 陽菜だって本気であんなことを言っていたわけではないだろうし、それに影響される私も私ではあるけど、帰ってきたら教えてあげなきゃ。

 先輩がどんな人なのかって。

「あ、渚」

 私は目を閉じながら、悦に入っていると先輩の声が聞こえて目を開けた。

「はい? っ!?」

 反射的に答えた私は思わず体をビクっとさせた。

 だ、だって先輩が……目の、前に……

 さっきまでは数十センチは離れていたというのに今はそれを超え、密着といっていいほどの距離になっていた。

 しかも

「動かないで」

 思わず体を後ろにそらせようとした私にそんな声が投げかけられる。

 思わぬ展開に固まってしまった私ではあったけれど、間髪入れずに先輩はさらに驚くおことをしてきた。

 ゆっくり、本当にゆっくりと私との距離を縮め、しかも先輩の右手が私の頬へと向かっていく。頬に手を添えるように

(え、え?)

 いきなり何をされるのかまるでわからない私は頭の中が真っ白になり、また陽菜にあくまで無理やり読まされた小説のワンシーンが頭をよぎって

「っ!」

 ぎゅっと目を閉じて

 パン!

 と、その瞬間に軽い音とともに頬に痛みが走った。

「はぇ?」

 またも何が起きたかわからず間抜けな声をあげた私は

「蚊がいたわよ」

 いいながら身を引いた先輩の少しあきれたような声に毒気を抜かれた。

「あ、りがとう、ございます」

「どういたしまして」

 そういう先輩はさっきまでとはどこか雰囲気が違っていた。

「手、洗ってくるわね」

 ただ、先輩はすぐにそう言って席を立ってしまって私がその正体に気づくことはなかった。

 そして、最後に少しだけドキドキすることはあったもののこの後は陽菜が考えたようなことなど何もなく私たちは静かな夏の夜を過ごすのだった

 

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